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福岡高等裁判所 昭和32年(う)816号 判決 1958年7月03日

控訴人 被告人 岩田恒雄 外三名

検査官 西田隆

主文

被告人三好義清、同谷光晴の本件各控訴を棄却する。

原判決中被告人岩田恒雄、同合田茂寿関係部分を破棄する。

被告人岩田恒雄を懲役三年及び罰金二〇〇〇円に処する。

被告人合田茂寿を懲役二年六月に処する。

被告人岩田恒雄が右罰金を完納し得ないときは、金二〇〇円を一日に換算した期間、同被告人を労役場に留置する。

但し右被告人両名に対し、いずれも三年間右各懲役刑の執行を猶予する。

理由

本件各控訴の趣意は、記録に編綴の弁護人小林明政、同三宅修一(いずれも被告人四名関係)、被告人岩田恒雄、同合田茂寿各自提出の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

弁護人小林明政の控訴趣意中「控訴申立の趣意の(A)、(B)、(C)及び「右控訴の趣旨を申立てる理由」の第一、「第三事実及び第五責任又は違法阻却事実について」の(1) 、弁護人三宅修一の控訴趣意第一、二、(一)及び被告人岩田恒雄、同合田茂寿の各控訴趣意中第三事実誤認の論旨について。

小林弁護人は昭和二八年八月一日法律第一五二号海上衝突予防法所定の法規に立脚して論じているが、同法はその附則に示すとおり昭和二九年一月一日より施行されたものであるから、これより先昭和二八年一一月二四日に為された本件公務執行妨害、艦船覆没の所為について、同法に依拠して論難するは失当にして、当時施行の旧法である明治二五年六月二二日法律第五号海上衝突豫防法によるべきである。尤も右両法は殆んどその趣旨を同じうしているが、本件については旧海上衝突豫防法に基いて判断する。

所論は要するに、海竜丸船長司法警察員佐藤健一は海上衝突予防法の灯火に関する規定を無視して暗夜海竜丸の前檣灯、左右舷灯全部を消灯し、被告人等が乗船していた第一〇一、第一〇二天王丸に接近して抜打的に強力な探照灯を照射し、以て被告人等の視覚神経を盲目同様に眩惑させた上、驚いて逃走する第一〇二天王丸に対し中型機船底曳網漁業取締規則に反して停船信号を行わず、しかも海上衝突予防法所定の航方を全く無視して同船の船首前面を圧迫する意図を以て全速力にて追跡し、右転に際しても航路信号をなさない等数々の違法行為を犯しているから、仮に密漁の現行犯逮捕のためであつたとしても、かかる所為は公務執行の客観的適法要件を欠いだもので公務執行とは認められない、と主張する。

思うに、海上においては陸上におけると異り明確不動の通路がなく交通整理も行われないから、航行の安全確保、殊に船舶衝突防止の方法は、専ら各船舶の船灯、信号、運航方法の如何にかかつているのみならず、万一衝突事故を惹起せんか直ちに多数の人命と莫大なる財産を危殆に瀕せしめるものであるから、船灯、航方、信号等に関する法規が極めて重要不可欠のものであることは論を俟たないところである。さればこそ、我国においても夙に明治三年太政官布告第五七号郵便商船規則を以て海上衝突予防に関する規定が設けられ、爾来この種予防規則が定められたが、次で明治二二年一〇月ワシントン国際海事会議において国際海上衝突予防規則が議定されるや、我国もこれにならい、明治二五年六月二二日これと全く同趣の海上衝突予防法の制定を見るに至つたのである。而して同法各本条の立言形式に同法が第一三条第三〇条を以て軍艦等の灯火と港川等の運航についてのみ特別規定の施行を容認し、又第二七条を以て衝突回避の例外的処置を認めている点を併せ考えると、かかる特殊の場合を除いては、海上航行の船舶はすべて必らず本法所定の灯火、航方等に関する各種規定を遵守すべき義務のあることが明らかに看取される。以上のごとき海上衝突予防法の立法趣旨、沿革並びに立言形式に鑑みれば、迅速且つ穏密裡に行動することの要請せられる海上における漁業に関する現行犯の検挙のため船舶を運行する場合、海上衝突予防法所定の法規を遵守するにおいてはたとえその機能を阻害される虞れがあつても、なお同法規を遵守すべき義務があり、もしこれを無視して船舶を運行すれば違法の責を免れることはできない。

ところで原判決挙示の関係証拠によれば、長崎県漁業取締船海竜丸の(木造船、五二、三五屯)船長にして司法警察員たる佐藤健一は昭和二八年一一月二四日午後四時頃密漁取締の目的を以て長崎港を出港し、長崎県西彼杵郡樺島灯台沖四浬位をほぼ東南に向けて航行中、同七時二〇分頃船首右舷四五度位に当る約一浬の地点に紅灯一個を認めたので、同所一帯は以西機船底曳網漁業禁止区域である関係上、密漁船ではないかとの嫌疑の下に乗組総員を部署につかせ、海竜丸の前檣灯、左右舷灯等全部を消灯して進路を右紅灯に向けて航行した上、同七時二五分頃紅灯との距離的四〇〇米に接近した時、海竜丸の航海灯全部を点灯させると共に電力一〇〇〇ワツトの強力な探照灯を以て照射したところ、紅灯の地点に運搬船を認め、その前方約二〇〇米の位置(従つて海竜丸より約二〇〇米の距離)に紅灯船を挾んでその左舷側に船首をほぼ海竜丸に向けた(北向)底曳漁船(即ち第一〇二天王丸、木造船七五、三三屯)が、又右舷側にこれと五、六〇米の間隔を置いて船首を稍右方に向けた(西北向)僚船(即ち第一〇一天王丸)が(両船の位置はほぼハの字型)、何れも船灯全部を消し船尾に魚索を曳いてゆつくり移動しており、照射と同時に右側の船(第一〇一天王丸)は西南方に逃走し、左側の船(第一〇二天王丸)は激右転(一八〇度右回転)して南方に逃走せんとしたので、佐藤健一は右両船を密漁の現行犯と認め、時速約一〇浬を以て第一〇二天王丸を同船と約五〇米の間隔を保ちつつその右舷側より平行状態で追跡を始め、約三分間追跡した時右追越船が漁業取締船なることを察知した第一〇二天王丸は約二〇度右転したので海竜丸もこれに応じて同角度右転し、更に約一分間追跡して海竜丸の船首が第一〇二天王丸の船尾(両船の間隔は約五〇米)に追いついた頃、同船が突如ほぼ直角に右転して海竜丸の左舷側に迫つたため同船はこれを避けんとして急遽左舵を採つたが及ばず、遂に第一〇二天王丸の船首は海竜丸の左舷機関部附近にほぼ直角に衝突し同船は同部を破損されて浸水し忽ち沈没した事実及び海竜丸は右追跡中終始第一〇二天王丸の右舷側後方に併進してその右舷船尾附近を照射していた事実が認められる。従つて、海竜丸船長司法警察員佐藤健一が密漁船と思ぼしき紅灯一個を認めるや、前檣灯、左右舷灯全部を消して接近したことは犯罪検挙のためであつても旧海上衝突予防法第二条各号に違反し、又第一〇二天王丸を追跡中同船の右転に応じて自らも右転した際航路信号をしなかつたのは同法第二八条に違反すること所論のとおりである。

なお同人は停船信号をしないで直ちに第一〇二天王丸を追跡しているけれども、元来中型機船底曳網漁業取締規則第二六条は漁業取締官憲より停船信号があつた場合において底曳網漁船が停船すべき義務のあることを定めたものにして、停船を命ずると否とは専ら当該官憲の自由裁量に属するものと解すべきところ、海竜丸船長司法警察員佐藤健一は第一〇二天王丸が探照灯で照射されるや直ちに逃走を始めたので、停船信号をなす暇なく又右信号をしてもその効なきものと認めて直ちに追跡したことは挙示の関係証拠により認められるから、同人が停船信号をしないで追跡したことは毫も違法とは謂われない。

又所論は探照灯による照射は船灯の識別や適当な見張を妨害するから、海上衝突予防法第一条二項に違反すると主張するが、密漁検挙のためであつても強力な探照灯を正面より長く直射して故ら視覚を眩惑させるがごときは格別、左様な事実の認められない本件においてこれを使用したからといつて必ずしも同条に違反するものとは謂われない。のみならず、旧海上衝突予防法第一条には「此ノ時間中(日没ヨリ日出マデ)ハ本法ニ定メタ船灯ノ外之ニ紛レ易キ灯ヲ掲グベカラズ」とのみ規定されて所論のような規定がないところ、探照灯は前檣の白灯、左右両舷の紅緑灯とは一見明確に識別し得べき性質のものであるから、強力な探照灯で照射しても右第一条に違反するとは謂われない。

更に所論は海竜丸が第一〇二天王丸を追跡中、同船の約二〇度右転に応じて自らも同角度右転したのは旧海上衝突予防法第二四条第二二条所定の航方に違反したものと主張する。ところで原判決の挙げた関係証拠によると、海竜丸は当時約一〇浬の時速を以て約九浬の時速で逃走する第一〇二天王丸を追跡したのであるから、同法第二四条第二二条により第一〇二天王丸の進路を避けねばならないのであり、又同船の前面を横切つてならないことは所論のとおりであるが、当時海竜丸は第一〇二天王丸と約五〇米の間隔を保つてその右舷側後方より同船と平行に進行していたのに、第一〇二天王丸が突如約二〇度右転したので、海竜丸は直進して同船より遠ざかることは追跡の目的に副わないから従来の併進状態を保持するため同角度右転したものにして、その儘進めば第一〇二天王丸の進路を避けることになり、従つて前面を横切る結果を来たす虞はないから、海竜丸の右転は毫も右各本条の航方に反するものとは謂われない。ところで、第一〇二天王丸はこれに反して逃走中船灯全部を消していたのみならず、被追越船であるから同法第二一条によりその進路を保持しなければならないのにこれに違反し、しかも同法第二八条を無視して航路信号すらしないで、徒らに進路を約二〇度右転した上海竜丸がその船尾に接近した頃再び突如直角に右転して本件衝突事故を惹起させた数々の重大なる違法を繰返したものである。

そもそも公務執行妨害罪が成立するにはその職務の執行が適法であることを要するのは勿論であるが、該職務行為が公務員の抽象的且つ具体的権限に属し、しかも法律上重要な手続の形式に適つておれば、たとい執行の過程において多少の反法行為があつても公務執行の適法性に消長を及ぼすものでないと解するを相当とする。原判決の挙示した関係証拠によれば本件において海竜丸船長司法警察員佐藤健一が紅灯一個を発見してから第一〇二天王丸を追跡したる密漁現行犯検挙に関する一連の各行為はすべて同人の抽象的且つ具体的職務権限に属し、しかも法律上重要な手続の形式に適つていることが明らかであるから、船舶の運航に際し旧海上衝突予防法の船灯、航路信号等に関する規定に違反しても、同人の前記行為は適法なる職務執行行為と謂わねばならない。

なお所論は海竜丸船長佐藤健一は暗夜突如として最大光力六七万燭光の探照灯を照射し、第一〇二天王丸を操舵していた被告人岩田恒雄、同合田茂寿の視覚神経を終始眩惑せしめて盲目同様に陥らしめたため、右両名は海竜丸の船影、船灯、進路を知り得なかつたものであると主張する。なるほど約二〇〇米離れた海竜丸より暗夜突如強力なる探照灯で照射されるにおいては、第一〇二天王丸の船首はほぼ海竜丸と向き合つていたのであるから当時操舵室に居た被告人両名が一時真向いから強い光芒を受けて視覚を眩惑されたであろうことは首肯できるが、両名は直ちに第一〇二天王丸を約一八〇度激右転して逃走を始め約五分後に衝突したことは前認定のとおりであつて、しかも右回転に要する時間が四〇秒前後であることは原審鑑定人叶重松、同鶴見嘉一作成の鑑定書により窺われるから、右両名は最初の二、三〇秒を経過した以後においては常に背後より照射されており、しかも前認定のとおり光芒は主として船尾附近を照し且つ又操舵室は後部に板壁と煙突が設けられてこれに遮られていることが原審検証調書により認められるから、被告人両名は最初の二、三〇秒間を除いては左程視覚の眩惑を来さなかつたことが窺われるのみならず、後記認定のとおり海竜丸は約八〇米以内の近距離に迫つていたのであるから、これ等の点を考慮にいれ原審鑑定人大野泰治作成の鑑定書(一部)を参酌して原審検証調書及び当審証人鶴見嘉一の証言を綜合すれば、右被告人両名は激右転して逃走中は左程視覚神経を眩惑されることなく、右舷後方近距離に追跡して来る海竜丸の船影、船灯、方向等を大体認め得たものと断じなければならない。

又所論は原審検証及び海難審判庁における検査の際使用された海王丸の探照灯は本件発生当時の海竜丸の探照灯より光度が弱かつたと主張するが、原審証人高橋熟の証言によればかかる事実は認められないし、又記録を精査してもこれを認めることはできない。従つて右検証調書並びに検査調書を事実認定の証拠に供することは毫も違法とは謂われない。

更に所論は原審鑑定人叶重松、同鶴見嘉一両名作成の鑑定書中「鑑定四は鑑定出来ない」とあるのは、同人等が実験の結果視力を眩惑されるという結論に達し乍らも、他より不法な圧迫を受けこれを鑑定書に明記することができなかつたので已むなくかかる表現を採つたものであると主張するが、原審並びに当審における右両名の証言によれば、検証当時の状況は本件発生当時の客観的状況と光源の移動その他の点において符合しない関係上、本件発生当時の視力につき判定し得なかつたため所論の如き結論を出したものにして他意の存しない事実が明らかである。

記録を精査するも原判決に所論の如き事実誤認、採証の誤りは存しない。論旨はすべて理由がない。

弁護人小林明政の控訴趣意中「右控訴の趣旨を申立てる理由」の第一、「第三事実及び第五責任又は違法阻却事実について」の、(2) 、弁護人三宅修一の控訴趣意第一、二、(二)、(三)、被告人岩田恒雄、同合田茂寿の各控訴趣意中第三事実誤認の論旨について。

所論は海竜丸が探照灯を以て第一〇二天王丸を照射してより衝突するまでは二分三〇秒以内であつて、衝突直前の海竜丸の時速は一〇浬、第一〇二天王丸の時速は約八浬であつたと主張する。なるほど海竜丸の当時の時速が一〇浬であつたことは所論のとおりであるが、原審証人浅野速男、同平山正夫、同宮崎千代一の各証言、被告人岩田恒雄の検察官に対する供述調書、第一〇二天王丸検査成績書、原審検証調書によれば、第一〇二天王丸の当時の時速は約九浬であつたことが認められる。ところで海竜丸が探照灯で照射するや約二〇〇米離れたところにほぼ同船と船首を向合つていた第一〇二天王丸は時速約九浬を以て直ちに激右転して逃走を始め、海竜丸も直ちに時速約一〇浬を以てこれを追跡して同船の船首が第一〇二天王丸の船尾に追いついた頃、同船が突和約九〇度激右転し海竜丸の左舷に迫つて衝突したことはさきに認定したとおりであるが、原審鑑定人叶重松、同鶴見嘉一作成の鑑定書によれば、第一〇二天王丸が全速で約一八〇度回転するに要する時間は約四〇秒なることが認められるから、同船が旋回し終るまでに海竜丸は約一二〇米前進して第一〇二天王丸との距離は約八〇米に迫り、それより毎分二〇米宛同船に接近することが算数上窺われるから、(一浬を一八五二米とすれば時速一〇浬の海竜丸の分速は約三〇〇米、時速九浬の第一〇二天王丸の分速は約二八〇米となる)海竜丸が第一〇二天王丸の船尾に追いつくには約四分を要することこれまた算数上明らかであつて、該事実を参酌して原審証人佐藤健一、同松山景義の各証言を綜合すれば、探照灯を照射してより衝突までは約五分を経過していることが認められる。

次に所論は海竜丸は暗夜近距離から突如強力な探照灯を以て第一〇二天王丸を照射し被告人岩田、同合田の視覚神経を眩惑せしめて盲目同様に陥らしめ、しかも海上衝突予防法の規定に違反して第一〇二天王丸を追跡しその前面を圧迫せんとしたものであるから、右被告人両名に衝突防止の措置を期待することは不可能であり、原審が鑑定人叶重松、同鶏見嘉一作成の鑑定書、鑑定人藤野貞、同大野泰治各作成の鑑定書、鑑定人前田道生、同野中安雄作成の鑑定書を排斥して被告人両名の視力が盲目状態に陥つていなかつたと認定したのは経験則、採証法則に違反すると主張する。けれども、本件衝突当時右両名の視覚神経が左程眩惑されないで約八〇米以内に接近している海竜丸の船影、灯火、進路等を大体認め得たこと、海竜丸が灯火と航路信号に関する旧海上衝突予防法の規定に反した点を除いては、刑事法、取締法等すべての法規を遵守していることはさきに認定したとおりであるのみならず、海竜丸が第一〇二天王丸の進路前面を圧迫せんとした事実は認め難く、却つて同船こそ旧海上衝突予防法の航方等に関する規定を無視して突如二〇度右転した後更に約九〇度激右転してその船尾附近に併進中の海竜丸左舷に迫つて重大なる違法を敢てしたものであるから、被告人等に衝突防止の期待可能性がないと謂われないのは勿論である。しかも所論の各鑑定書を仔細に検討すれば、右各鑑定書から直ちに所論の如き視力盲目の判定に達するものではなく、却つてさきに認定した如き当時の状況下においては右被告人両名が八〇米以内の近距離に迫つた海竜丸の船影、灯火、進路を大体認め得たことを窺い得られ、原審が右各鑑定書を事実認定の証拠に供していないからといつて毫も採証の法則に反するものとは謂われない。

なお、所論は海竜丸は最初第一〇二天王丸の左舷後方より追跡していたのに、突如として右舷前方に進出したため本件衝突を惹起したもので、当時の両船の見合に関する佐藤健一の供述はすべて措信し難いと主張する。けれども、原審鑑定人鶴見嘉一、同篠田良知作成の各鑑定書によれば、第一〇二天王丸が約一八〇度右回転した場合の最大横巨は約五〇米であつて同船体は右回転により約五〇米右舷方向に移動する事実が認められ、又原審証人佐藤健一、同松山景義、同中尾孝行、同指方富蔵、同浅野速男、同平山正夫の各証言、原審公判における被告人岩田恒雄の供述によれば、海竜丸が第一〇二天王丸を探照灯で照射した時両船の船首はほぼ向合つていた事実が認められるから、右各事実を参酌して原判決挙示の関係証拠を綜合すれば、海竜丸は第一〇二天王丸が探照灯で照射され約一八〇度右転して逃走する際、同船と約五〇米の間隔を保つて常にその右舷側より平行状態で追跡し、その右舷船尾附近を照射し続け漸次その距離を接近して併進し、第一〇二天王丸船尾に追いついた頃(その間隔は約五〇米)第一〇二天王丸が突如約九〇度右転して海竜丸の左舷側に進出したため本件衝突を惹起した事実を認めるに十分にして、この点に関する佐藤健一の各供述は優にこれを措信するに足るものである。

所論は更に第一〇二天王丸が右転したのは左舷後方に海竜丸の光源を認めたためと、第一〇二天王丸船首前方に他船の紅灯を認めたのでこれ等の船との衝突を避けるためであつたと主張する。けれども海竜丸が常に第一〇二天王丸船尾後方の右舷側より追跡し探照灯も亦右舷船尾部を照射していたことはさきに認定したとおりであり、又探照灯で照射した際第一〇一、第一〇二天王丸の中間沖合約二〇〇米の位置に紅灯船が認められたことも前認定のとおりであるが、第一〇二天王丸が激右転して逃走する頃右紅灯船はその附近に認められなかつたことは原審証人松山景義、同中尾孝行の各証言、浅野速男、平山正夫の検察官に対する各供述調書によりこれを認めるに十分であり、従つて第一〇二天王丸が約一八〇度右転して左舷方向に運航するのに当時これを妨ぐべき何等の障害物も存しなかつた事実が認められる。

又所論は第一〇二天王丸は海竜丸との衝突直前これを避けるため機関の停止、全速後退の措置を採つていたと主張し、原審証人平山正夫の証言、被告人岩田恒雄、同合田茂寿の検察官に対する各供述調書、証人宮崎千代一の第二回審判調書等にはこれに副う趣旨の供述があるが、いずれもたやすく措信し難く、却つて証人松山景義の第三回審判調書、受審人佐藤健一の第二回審判調書、原審証人宮崎千代一の証言によれば、第一〇二天王丸は衝突直後初めて右措置に出でた事実が認められるのである。

更に所論は被告人岩田恒雄、同合田茂寿には公務執行妨害の犯意も、艦船覆没の犯意も存しないと主張する。けれども、被告人合田茂寿の原審公判における供述並びに検察官に対する供述調書によれば、同被告人が探照灯で照射されるや直ちにそれが取締船なることを察知したことが認められ、又受審人佐藤健一の第二回審判調書により認められるように探照灯を備えた船は通常海上保安庁又は県所属の船舶に限る事実を参酌して原判決挙示の関係証拠を綜合すれば、被告人岩田恒雄も亦当時探照灯を照射して追跡して来る船が取締船なることを察知していた事実が認められる。而して右両名が右旋回後逃走するに際し相協力して第一〇二天王丸を操舵したことは挙示の関係証拠により明らかなるところ、前認定のとおり両名は海竜丸が右舷側後方より接近して追跡して来ることを知り乍ら、しかも左舷側にはその前方にも後方にも進路に何等障害となるべきものがないのに拘らず、故らに約二〇度右転した後海竜丸が第一〇二天王丸の船尾附近に追いつくや無謀にも約九〇度右転したのは海竜丸の進路を妨害する意図に出でたものと認めるの外なく、該事実に原判決挙示の関係証拠を綜合すれば、被告人両名は原判示第三のとおり第一〇二天王丸を約九〇度右転すれば、同船を或は右舷船尾附近に迫つている海竜丸に接触衝突せしめこれを破損、沈没せしめるに至るやも知れないことを察知し乍ら、敢てこれを容認し右所為に出でたものと断ぜざるを得ない。従つて被告人両名には公務執行妨害及び艦船覆没の未必的犯意があつたものと謂わねばならない。

記録を精査するも原判決に所論の如き採証の誤り、事実誤認は存しない。論旨はすべて理由がない。

弁護人小林明政の控訴趣意中「右控訴の趣意を申立てる理由」の第一、「第一事実」に関する漁業法違反、被告人岩田恒雄、同合田茂寿の各控訴趣意中第一事実誤認の論旨について。

なるほど、原審証人中浜庄三郎は自分の船の網を切つた密漁船の船尾には「てんよし丸」と書いてあつて、船尾は丸くなつていたと証言しており、又門司地方海難審判庁検査調書によれば、第一〇二天王丸の船尾は厳格に言えば角が立つていることはいずれも所論のとおりである。けれども、第一〇二天王丸に関する原審検証調書添付の図面並びに写真によれば、同船の船尾はしかく角立つてはいないで丸みを含み一見丸く感ぜられるから、船尾が丸くなつていると言つても必ずしも誤りとは言われないのみならず、寧ろ「丸い」と言つたが適切と言うのも過言でない。又同証人は暗夜一寸船尾の文字を見たことが窺われるから「天王丸」を「天吉丸」と見違えることもあり得ないことではなく、更に同証言によればその上段に「一〇一」とその下段に「下関」と明記しあつたことが認められ、又同証言及び原審証人篠崎天民の証言によれば、当時中浜庄三郎は第一〇一、第一〇二天王丸の船主上杉若春より網の損害賠償金として二万五〇〇〇円を受取つた事実が認められるから、これ等の各事実を参酌して原判決挙示の関係証拠によれば、被告人四名が原判示第一のとおり第一〇一、第一〇二天王丸を使用して密漁した事実を優に認め得べく、記録を精査するも原判決に所論の如き事実誤認、採証の誤りは存しない。論旨は理由がない。

弁護人小林明政の控訴趣意中「右控訴を申立てる理由」の第一、「第二事実に関する漁業法違反」、弁護人三宅修一の控訴趣意第一、一及び被告人岩田恒雄、同合田茂寿の各控訴趣意中第二事実誤認の論旨について。

しかし原判決挙示の関係証拠によれば、原判示第二事実は優に認められる。被告人岩田恒雄の検察官に対する供述調書、原審証人佐藤健一の証言によれば、第一〇二天王丸が長崎港を出港したのは昭和二八年一一月二四日午後四時三〇分頃にしても、本件衝突時刻が同七時三〇分頃であり、又第一〇二天王丸の時速が約九浬であることは所論のとおり認められるが、長崎港より衝突地点までの距離が二九浬であるという所論の事実はこれを確認すべき資料は存しない。ところが当審検証調書によれば、長崎港出島岸壁から右衝突地点までは時速約一〇浬の新海竜丸により約二時間を要する事実が認められ、又当時第一〇二天王丸の機関係であつた原審証人宮崎千代一の証言によれば同船が長崎港を出港して衝突するまで約九浬の時速を以て約二時間航行した事実が認められるから、当時同船が長崎港より衝突地点附近まで行くのに要した時間は長くとも二時間三〇分程度を出でないことが窺われる。従つて第一〇一、第一〇二天王丸は当時午後七時頃までには右地点に到達したことになるから、網を海中におろして漁撈の操業を始める時間的余裕に欠くるところはなかつたものと謂わねばならない。更に又原審証人佐藤健一、同松山景義、同指方富蔵、同中尾孝行、同下条禎二の各証言によれば、海竜丸が探照灯で照射した際、第一〇一、第一〇二天王丸は船首をハの字型に開いて五、六〇米の間隔を以て漸進し、両船共船尾に魚索を曳いて船灯全部を消灯し作業灯を点けていた事実が認められるから、叙上の各事実に原審証人野田六之助の証言を参酌して原判決挙示の関係証拠によれば、当時第一〇一、第一〇二天王丸は網を海中におろして操業を開始していた事実が認められる。記録を精査しても原判決に所論の如き事実誤認、採証の誤り並に挙示の証拠の信憑力を否定すべき事情は存しない。論旨は理由がない。

弁護人小林明政の控訴趣意中「右控訴の趣旨を申立てる理由」第二結論、(2) について。

しかし、海難審判法第一条の目的を探究し、門司地方海難審判庁の裁決主文を検討すれば、同主文は毫も同法の目的を逸脱したものとは謂われないのみならず、原審は右裁決書を原判示事実認定の証拠に採用していない。論旨は理由がない。

弁護人三宅修一の控訴趣意第二について。

記録に現われた諸般の情状を考察すれば、裁告人三好義清、同谷光晴に対する原審の科刑はまことに相当であるから、同被告人等については論旨は理由がない。

次に被告人岩田恒雄、同合田茂寿関係につき考察するに、記録によれば本件公務執行妨害、艦船覆没の所為は同被告人等が周章狼狽して逃走したのが大きな原因をなしていることが窺われ、しかもその犯意は未必的であつて相当酌量すべき点があるのみならず、当審における事実取調の結果によれば、原判決後被害者である長崎県と被告人等の雇主である上杉若春との間に示談成立し、同人は被告人等に代つて長崎県に対し海竜丸の損害賠償として金一〇二〇万円を支払い、且つ同船の乗組員であつた佐藤健一外九名に対し一人につき三万円宛計三〇万円を慰藉料として支払つていることが認められ、更に被告人両名には体刑の前科もないから、これ等の事実に記録に現われた諸般の情状を参酌すれば、原審が右両名に対し実刑を以て臨んだのは量刑重きに過ぎ不当であるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

そこで刑事訴訟法第三九六条に則り被告人三好義清、同谷光晴の控訴を棄却すべく、被告人岩田恒雄、同合田茂寿に関しては同法第三九七条に則り原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書に従い更に判決する。

原審の確定した事実に法律を適用すれば、右被告人両名の原判示所為中第一、第二の点は漁業法第一三八条第二号、刑法第六〇条に、第三の中艦船覆没の点は刑法第一二六条第二項第六〇条に、公務執行妨害の点は同法第九五条第一項第六〇条に、被告人岩田恒雄の原判示第四、(一)の救助に必要な手段をつくさなかつた点は船員法第一二四条に、自船の名称等を告げなかつた点は同法第一二六条第三号に、第四、(二)の点は同法第一二六条第五号にあたるところ、第三の艦船覆没と公務執行妨害、第四、(一)の救助に必要な手段をつくさなかつた点と自船の名称等を告げなかつた点は、いずれも一個の行為にして二個の罪名に触れるから刑法第五四条第一項前段第一〇条によりそれぞれ重い前者の刑に従つて処断すべく、而して第一、第二の漁業法違反ならび第四、(一)の船員法第一二四条違反については懲役刑を、第三の艦船覆没については有期懲役刑を選択し、以上は刑法第四五条前段の併合罪であるから、被告人岩田恒雄に対しては懲役刑につき同法第四七条第一〇条第一四条に則り重い艦船覆没の刑に法定の加重をなし、罰金刑については同法第四八条第一項に従つて併科し、被告人合田茂寿に対しては同法第四七条第一〇条第一四条に則り重い艦船覆没の刑に法定の加重をなし、犯情憫諒すべきものがあるから同法第六六条第七一条第六八条第三号に従い酌量減軽をした上、被告人岩田恒雄を懲役三年及び罰金二〇〇〇円に、被告人合田茂寿を懲役二年六月に処すべく、刑法第一八条に則り被告人岩田恒雄が右罰金を完納し得ないときは金二〇〇円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置すべく、被告人両名に対しては量刑不当の論旨に対する判断において説明した理由によりいずれも犯情懲役刑の執行を猶予するを相当と認め同法第二五条を適用してそれぞれ三年間右各懲役刑の執行を猶予すべく、なお原審並びに当審における訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項但書に従い被告人四名に負担させないこととする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤井亮 裁判官 中村荘十郎 裁判官 生田謙二)

弁護人小林明の控訴趣意

第一「第三事実」及び「第五、責任又は違法阻却事実について」

緒言、この項の左記(1) (2) で述べる控訴申立理由を明白にする補足資料として青写真「その一」及び「その二」の二葉を添付します。「その二」は一件記録中原審で証拠決定せられた証書や鑑定書中に添付されている天王丸と海龍丸の二隻の航跡図や天王丸の回転に関する性能鑑定表等の証拠の写本であります。「その一」は、佐藤船長の主張する、海龍丸から見た海龍丸と天王丸の両船の航跡図(弁護人証拠第四三号調書六六丁)を基礎としてそれに右「その二」の鑑定図表等を当て嵌めて作成した両船の見合関係の真相を検討して作成した航跡図である。

(1)  被告人等(被告人岩田、同合田)は海龍丸船長司法警察員佐藤健一の職務の執行を妨害していない。一応公務員の行為が公務の執行として適法と認められる要件は、「その行為が公務員の抽象的職務権限に属すること。その行為をなし得る法定の具体的条件を具備すること。職務行為の有効要件として定められている方式を履んでいること。」右の三つの条件を具備していることが客観的に認められねばならぬ。(以下このことを「公務執行要件」という。)海龍丸船長漁業監督吏員佐藤健一氏(以下「佐藤船長」という。)が被告人等が乗船していた「副船」を密漁容疑船として追跡する場合は左のような「公務執行要件」を欠いた数々の違法を犯している。

(イ) 本件発生当時は日没後であつたから、「衝突予防法」第二条のマストランプ及びげん灯第十条の船尾灯を点灯しておらねばならぬ。佐藤船長は海龍丸が「副船」に接近した際故意に「マストランプ」及びげん灯を消灯していた。(註一-以下この証拠関係を註に示す。)

(ロ) 衝突を惹起しないよう充分の間隔と時間を保ち「取締規則」第二十六条による「停船信号」及予防法第二十八条の針路信号を行なわねばならぬ規定を無視し、全然「信号」を行わず(註二)剰へ、

(ハ) 予防法第一条第二項の規定による。「この法律に規定する灯火が視認されること、若しくはその特性が識別されることを妨げる灯火、又は適当な見張りの妨げとなる灯火を表示してはならない。」(註三)

右の規定を佐藤船長は無視し「副船」の至近距離まで無灯で接近し、突然強力な光度を有する、探照灯の平行光線を副船の船体に集中照射しつつ(註四、五)全速力で「副船」を追跡中衝突したものであるから衝突直前までこの光線のために被告人等は視覚神経を眩惑され海龍丸の船型はもとより、海龍丸の動静も全然知ることができない。(なおさらに当時の天候雲量の関係上衝突をした海上は異常に暗黒であつたから(註六)被告人等の視覚を眩惑される状態が普通よりもひどく生理的に拍車をかけられたことは鑑定人大野泰治氏の鑑定書でよく判る。)

〔註一〕 無灯火証人佐藤健一第一回公判供述調書記録一八七丁オモテ。(註、以下丁数のみ書いてあるときは記録の丁数のこと。)その時海龍丸の航海灯は点けていたか。一浬位の距離に接近する迄は点けていましたが、その距離に接近した時直ちに航海灯は消させました。昭和二十九年二月二十六日第三回公判における証人指方富蔵供述調書二六八丁ウラ。航海灯を消したことがあるか。はい、船長に命ぜられて消しました。昭和三十年九月十九日第十二回公判における証人指方富蔵供述調書一三三九丁ウラ。消してどうしたか。白灯が消えたので海龍丸の灯火を消しました。灯火と云うのは前檣、尾灯、左右両舷灯です。(以下「無灯関係」という。)

〔註二〕 停船信号を怠る。証人佐藤健一、第一回公判供述調書(一九二丁表)。停船信号をしたか。停船信号は漁業取締法第二六条に基き長声一発、短声四発を吹鳴するのでありますが、その時はその処置をする余裕がなかつたので停船信号はしておりません。(以下「註二、停船信号不発」という。)

〔註三〕 予防法第一条第二項の船灯識別や適当な見張りを妨害する代表的の灯火は探照灯であることについて。藤崎道好著「新海上衝突予防法」東京白泉社発行、六四ページ。本法に規定する灯火の視認されることを妨げる灯火とは、探照灯の如く強力な光を発して、本法に規定する灯火の視認を妨げるもの等を指すものと考えられる。本法の灯火の特性が識別されることを妨げる灯火とは、本法に規定する灯火の特性即ちその視認距離、灯色、掲揚位置等に関して、その識別を困難ならしめるような灯火を指すものと考えられる。適当な見張の妨げとなる灯火の「適当な見張」とは船舶がその時の天気、海面の模様及び其の他の状況により、当然に要求される適切な見張をいうものと解されるので例えば視界が不良なときや、他の船舶が間近かに接近するとき微光を漏す灯火であつても適当な見張をすることを妨げる灯火であるということである。永野馬太郎著「国際海上衝突予防規則解説」東京海文堂発行、一二一ページ。所定の灯火の視認を妨ぐべき他の灯火を表示すべからざる旨の規定は前記の如く今回新に加えられたのであるが、斯くの如き灯火の一例を挙ぐれば近来探照灯の如き光力強大なる灯火を用うる船舶が増加したが、斯くの如き灯火は所定の灯火、特に舷灯の視認を妨ぐること甚大であるから斯くの如き灯火を表示すべからざることを規定せられたのである。表示とは掲揚を包含していることは申すまでもないことである。(以下「註三の諸学説」という。)

〔註四〕 海龍丸探照灯(本件当時使用の光度)。光度及光柱の巾等の測定は、鑑定人前田道生氏、同野中安雄氏「海王丸探照灯鑑定記録」一四四一丁乃至一四二〇丁により、海龍丸探照灯最太光力六七万燭光、照射光線の巾は光源から二〇米の地点で二一米二六(一四一七丁)、一〇〇米の地点で二三米八二五(一四二〇丁)、「副船」の長さ二四米六二巾四米六六(中央)(二二八丁ウラ、審判調書十六丁)であるから探照灯の光源から二〇米隔たる位置に居る「副船」は直径二一米の光束円で、又一〇〇米隔たる位置では直径二三米八二五の光束円で(光力六十七万燭光)照射されているから「副船」の殆んど全船体が強度の光束円に包まれた状態に照射されている。

〔註五〕 この探照灯の平行光線の照射が本件衝突発生前の天王丸の操舵をしていた被告人等の視力の光覚を全く眩惑することについては、

(a) 鑑定人大野泰治氏(九州大学眼科学教室講師)の鑑定書(第十六回公判で取調ずみ)によれば左の通りである。乙に対する鑑定 鑑定甲船(弁護人註、副船)の操舵員は照射光源の方位即乙船(弁護人註、海龍丸)の同船に対する方角は常に確認出来るが乙船の動向、即船体の進む方向を確認することは出来ない。鑑定理由、第一資料天候関係から当時の気象状況は、全天曇、月明り殆どなしとなつているので、乙船の舷側から光束発発散度(輝き)は殆んど零に近い。従つて甲船の操舵員は乙船からの探照灯で照射されてから後は、たとへ光源を凝視しなくても操舵員の眼は直ちに操舵室内の明るさに明順応されるから乙船の船体を確認することは出来ない。乙船の紅灯の舷灯は探照灯の光源から注視線をそらせて特別の注意をして見れば近距離に於いては認め得られるかも知れないが、数秒乃至十数秒を争う緊急間に船の動向を確認出来る程度明瞭に連続して見ることは先づ不可能と考えられる。従つて甲船の操舵員が常に確認出来るのは照射光源だけである。之によつて乙船の自船に対する方位だけは確認出来る筈であるが彼我の距離、乙船が自船に近づきつつあるか、遠ざかりつつあるかを判断することが殆んど不可能と考えられる。何となれば真暗の海上で眩しい光線を注視した場合には、光源に視覚が順応出来ず輝ける光芒として感じるだけであるから輻輳視覚による距離判然は非常に不正確になる。又瞳孔に入る光景の変化によつて距離の変化は知られるのであるが光源が探照灯のような並行光線に近いものでは光景の変化が逆自乗の法則に従わないから判断が不正確になる。且つ光束の巾の中でも照度は中心部と周辺部とで十倍も変化するから照度の変化が光束の移動によるものか、距離の変化によるものか判定が出来なくなる。結局照射光源だけから乙船の動向を確認することは不可能と考えられる。」又同鑑定書中、甲の(三)に対する鑑定「鑑定」、近距離から特別の注意を払つて探見すれば紅緑の舷燈を見ることが出来ると想像される。「鑑定事由」、照射光線を凝視している時にはその光芒に邪魔され、注視線をそらすと残像(照射光源位の輝度の視標を2秒間凝視したときは三-五秒間特に強く、その後も二-五分間続いてその間視覚を障害する。――淡路円次郎氏(一九三六)の実験による。――によつて視覚が障碍され且つ照射光源と舷灯との眼に入る光量の差が著しく大きいので探見は仲々困難であるが近距離になれば光量の差が少くなり両者の間の視角が増す(距離三〇米の時約3°~3°、30′)ので特別の注意を払えば発見出来ると想像される。然し緊急の間に連続確認することは恐らく出来ないであろう。

(b) 鑑定人藤野貞氏「長崎大学医学部眼科教室文部教官」鑑定書(一五七九丁から一五八〇丁表にかけて)若し灯光源を直視しつづけたと仮定すれば相当度の光伸低下が起つたものと考えられる。((一)の表九七、ルツクスの項参照)、BよりCに至る後半の二〇-三〇秒間は強光を浴びて(一)の表の九七、ルツクスの場合に近い光伸の低下を来したものと考えなければならない。<注> 右光度並に眩惑に関する鑑定は被告人等は海難審判で申請したが、審判庁はその申請を留保した。(このことが審判の裁決に影響あることは後に述べる。)

(c) 鑑定人叶重松同鶴見嘉一は左記鑑定事項につき左の通り鑑定をしている(一四一一丁)第一鑑定四、次の鑑定には海龍丸の代船として海王丸を使用して頂きたい。

(1)  天王丸と海王丸を「両船配置状態第一」に配置する。この状態の時海王丸は檣灯、舷灯、船尾灯を消灯しておく、そして「両船配置状態第一」の時突然海王丸の探照灯を最大光力で天王丸に照射する。之と同時に天王丸は「右転回転位置」につく行動を開始する。海王丸は天王丸の移動する通りに探照灯を照射する。(い)操縦に経験ある船員が天王丸操舵室に乗込み操舵中、海王丸から照射する探照灯の最大光力のため、海王丸の動静を確認することが出来るか、出来ぬか。(ろ)其後海王丸と天王丸が右三の1、2の追越状態になつた後、天王丸の動静を確認することが出来るか、出来ぬか。(は)右(イ)(ロ)は海王丸が探照灯照射と同時に海王丸舷灯、檣灯を点灯すると海王丸の動静状態を確認するに右(イ)(ロ)と異つた結果を発生するか。(に)海王丸操舵室から海王丸操舵者は右(イ)(ロ)の場合天王丸の動静状態を確認することが出来るか、どうか。右第一鑑定四の鑑定事項に対し、叶、鶴見両鑑定人は左の通り鑑定した。

第一鑑定四、主文略、鑑定答申、鑑定出来ない。右鑑定人二名は右鑑定事項の通り、天王丸、海王丸を操船し、且つ探照灯照射試験を実験した事実並に各鑑定人の経歴等は鑑定人尋問調書一三五三丁以下に明白である。

〔註六〕 本件発生当時発生現場の天候の暗黒であつた事実は、長崎海洋気象台、昭和二八年一一月二四日一九時二〇分~三五分当時の長崎県樺島灯台南方四・五浬沖合海上気象推定(一三〇二丁)。(1) (2) 省略。(3)  一九時二〇~三五分当時の樺島灯台南方四・五浬沖合の推定。(4)  二四日 月令一七、四 月出二〇時二一分 月入一〇時四〇分。(5)  潮流 流向 北~北北東 流速 〇、七節程度(以上は同日の女神検潮記録により推算)。

佐藤船長は右第一(1) イ、ロ、ハに述べたように「予防法」も「停船信号」等の信号も悉く無視して、逃走しつつある「副船」はもとより自船の危険をも全然考えず、無謀没常識的に「副船」の船首前面を圧迫する意図から、第二十四条の追越し船の航法など弁えていなかつた事実は、昭和三十年七月二十一日第十一回公判で証拠決定せられた、弁護人証拠請求順位第四八号(以下第 回公判弁護人証拠第 号という。)門司地方海難審判庁からの取寄せ審判記録(以下「門司審判記録」という。)中第一回審判調書(審判調書一六一丁ウラ九行~十三行)(註、審判調書何丁とはこの証拠書類に記載してある丁数)。審判長は佐藤受審人に対し。問 あやしい船だと思つた時全速力にて追跡するのですか 答 はい。問 これ迄追跡していて相手船に近づき危険なことがありましたか 答 たびたびありました。このような追跡を要する時は海上衝突予防法等考えておられません。増田審判官は佐藤受審人に対し(第二回審判調書二一三丁表行から同裏二行) 問 逃げる船はおいこし、おいつきの態度になつたら停止しますか 答 監視船がおいこしたら、ていせんする経験があるから、おいこし、おいつきのたいせいをとるのです。問、答、この間三行省略。問 追跡は全速で、はしつたのですか 答 若しおいこしたらスローにして相手船につけるつもりでした。立川理事官は佐藤受審人に対し(右調書中二二一丁表八行以下)問 これ迄被疑船を追跡のとき衝突したことがありますか 答 あります。問 それはどこですか。答 昭和二十四年四月初め頃対馬の豊崎町西洞十五マイル沖位のところです。問 職務のためなら貴下たちの方から衝突してもよいと、きいておりますか。答 そんなこときいておりません。本件の場合においても海龍丸が「副船」の船尾から「副船」を追起すような見合関係になつたとき被告人等身体並びに船体の保護を期するため予防法第二十四条同二十二条同二十八条等の趣旨に遵つて航行すべきである。然るに佐藤船長は右趣旨を弁えず、「証人佐藤第一回公判供述調書(一九二丁表――一九三丁表)」に、相手船が右へ転舵したときの模様は、相手船が四分位追跡されてから本船より左側を併進中突然少し右へまあ二点(十五度)転舵しましたので海龍丸も十五度位右へ転舵しました……省略(弁護人註、追越船が、追越される船即ち「副船」の転舵する方向に転舵することは予防法二十四条に禁じられている。何となれば海龍丸のこの所為が自然と同二十二条の禁止規定を犯して、追越される船「副船」の、船首前面に進出して衝突を醸す態勢を発生する結果になるからである。)それから、右へ十五度転舵して一分間位歩つたと思う頃船首で見張り中の松山航海士が「来たぞう」と叫んだので急に見ると相手の船は私のいるブリツジの左舷側に船首を向けて突き進んで来るのが見えました。私はそれまで向うの船首の向け方を注視していたのでしたが一寸の間に相手船の船の更に転舵したことに気付かなかつたのですが最初四五十米の距離で平行線追尾したのでしたが、何時の間にか相手船転針して右側に航進していた。(註七)海龍丸の左舷に直進して二十米の距離に接近しました。このままで行つたら左舷に突き当てられるので私は自分の船に左舷に転舵しろと号令し、それと同時に下条君が一回転か二回転か転舵したと思う頃(註八)その転舵の効果もなく左舷中央より少し後部機関部附近に相手船は船首材を突き当てたのであります。

〔註七〕 公判調書中、鑑定人叶重松氏、同鶴見嘉一氏作成鑑定書中(一四〇七丁~一四一三丁)一四一二丁第一図、一四一三丁第二図、海龍丸が天龍丸を追越す移動状況。一浬は約一八六〇米であるから時速一浬の一分間の速さは約三一米であること。一四〇九丁第一鑑定二の答申による天王丸の回転に要する時間 原針路から九〇度右、回転に要する時間、二十一秒。二二度右、回転に要する時間、九秒三。縦距 原針路から、九〇度右回転のとき、三五米三。二二度右回転のとき、一五米。

〔註八〕 第十一回公判弁護人証拠第三七号天王丸国籍証書によれば、天王丸長さ、二四米六二、総トン数、七五トン三三。右公判弁護人証拠第四三号佐藤健一質問調書五六丁によれば、海龍丸長さ、二二米六二、総トン数、五二トン三五。であることが判る。従つて海龍丸の回転に要する時間、縦距も一四〇九丁右第一鑑定の二の答申の数値よりもやや(ホンノ心持ち)小さき数値の性能であると物理的に断定できるから、右註七、註八、の事実を佐藤証人の右第一回公判供述調書一九二丁表から一九三丁表までの陳述に織込んで吟味すれば、佐藤船長が陳述しているような七時二十五分頃から探照灯照射開始して七時三十分衝突した事実即ち照射から衝突まで五分を要した事実は数理上あり得ぬ。詳しくいうと探照灯照射時から一分三十秒以上二分三十秒以内に衝突したことが真実である。この事実は審判庁における理事官も海龍丸の右主張時間を排斥した意見を述べ、審判裁決書にも理事官のその意見を採用している。この事実については後に証拠にもとづいて述べる。(以下この時間を「真実の衝突時間」という。)又註七、八の「副船」及び海龍丸各船の操縦に関する航海力学上の原則を右佐藤証言に当て嵌め検討吟味すると海龍丸が故意に、副船の船首前面に退出した事実が証明できる。(青写真その一その二参照)「副船」操舵中の被告人等はその間、始終海龍丸の探照灯の光源のみは認めることができたが、その強力な光芒の光輝のため、被告人等の光覚は視力を回復することが全然不能の状態に陥しいれられ、海龍丸の進航方向は全然確認することができない状態に被告人の視神経は眩惑せられていたことは「註五眩惑鑑定」で証明できる。換言すれば被告人等の視覚は強力な光芒の光輝のため全く盲目同然の状態(被告人等の眼の光覚が全然喪失したことについては恰も刑法第三九条、に準ずる状態に海龍丸の探照灯照射により陥いれられた事実)であつたことが証明できる。右陳述の註一乃至註八一連の事実を以下「予防法無視事実」という。今仮に百歩を譲り本件を密漁の現行犯としても「停船信号」や「予防法」を無視して逮捕にのみ専念することは法理上許さるべきものでない。何となれば逃走船を追跡しつつ逮捕することができる場合は、追い越さるる船の速力よりも追い越船の速力が+Xだけ遠い場合である。この(+X)の破壊力の量は船体の排水量に秒速米を乗じて算出することは公知の事実である。海龍丸の排水量の概数は七、八十トン。時速一浬の船の秒速は〇、五米強。本件の場合(+X)は略一・五浬強である。(左記(2) 艦船覆没、(b)速力関係参照)右の原理から本件の場合、海龍丸が副船に加うる破壊力量は航海力学上最悪の場合は追越し船と追越される船双方が毀損又は沈没するか或はその何れかの一方の船が毀損又は沈没することは必然であるばかりでなく、乗組員の人命にも危害を及ぼす公算は明白な公知の事実で、かような危険性を含む逮捕方法が法理上「追越船」に断じて許さるべきものでないことは、警察官等職務執行法第七条(以下「職務執行法」という。)による、警察官が犯人逮捕に武器を使用し得る場合の使用条件との均衡からでもいい得る。本件の場合「副船」を逮捕せんために海龍丸の企図した一連の「予防法無視事実」が違法の行為であるはもとより、その結果が武器使用による危険性以上の危険を含むものである。――一発のけん銃射撃の結果の人命や船体に及ぼす被害範囲と「逃走船」に「追越し船」が衝突した場合に発生する人命や船体に及ぼす危害範囲と、その惨害程度がいづれが大であるかは諜々を要しないことである。また罪質の点において「職務執行法」第七条による警察官が武器使用し得る場合は、警察官けん銃使用及び取扱規定第十三条、本章における兇悪な罪とは次の罪でその性質が兇悪であり且つ反復性の予想されるものを云う。一 殺人 二 強盗 三 放火 四 強姦 五 傷害 六 その他長官の指定する兇悪な罪 右のような兇悪な罪の逮捕のみにけん銃使用を堅く制限せられ、しかもそんな兇悪な罪の逮捕ですら、けん銃を使用し得るは、警察官又は他人の人命が緊迫な危険に直面した場合のみに限られ、単なる犯人逮捕の目的に使用することは許されていない。

本件は漁業法違反の容疑事件である。――行政刑法違反容疑本件である。――この事件の逮捕に関し右に述べたような拳銃使用の結果以上の危険発生を十二分に予想し得る逮捕方法を佐藤船長が故らに振舞うことは憲法の条章の底に流れた法理からはもとより、「職務の執行法」適用の均衡論から決して原審判示のような佐藤船長の所為は公務執行の要件を客観的に具備した適法の職務執行ということはできない。

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